情報過多の生活について
暑いには暑いのだが、まだ朝なのだからと思って、エアコンはつけずに窓をあけていたところ、耳をつんざくような大きな鳴き声でセミが鳴きはじめた。子供のころから聴き慣れているアブラゼミやミンミンゼミの鳴き声ではないのだ。あっ、これはクマゼミだ、っとすぐに気がついた。1kmほど離れた都道環状7号線の中央分離帯の緑地では、5年以上前からクマゼミが鳴いているのは知っていた。とうとう自宅の近くまで進出してきたに違いない。小学生の頃に持っていた昆虫図鑑には、クマゼミは日本で最も大型のセミで、生息地は四国・九州と書いてあった。東京に住んでいて、昆虫採集が大好きな私には、日本一大きなセミというだけで、九州の人たちが羨ましかった。
毎年今頃になると、仕入れのために行っている大田市場花卉部の駐車場に、キラキラ光る美しい甲虫が数年前からたくさん落ちている。緑色に輝く個体もあればブロンズ色に輝く個体もあり、その2色が混ざりあっている個体もあった。子供の頃に見た図鑑の薄っすらとした記憶から、カナブンなのかしら、とは思い続けてきたが、その虫が何なのか最近判明した。南西諸島に生息する「リュウキュウツヤハナムグリ」またはその亜種の「オオシマツヤハナムグリ」のようだ。国内外来種で、主に大田区と品川区で確認されているのだが、最近は千葉県東金市でも発見されたそうで、局所的に大量発生している。大田市場前の交差点で信号待ちしている際に、上空に何か沢山飛んでいるなあ、っと思って凝視すると、交尾相手を探すハナムグリたちで、その交差点付近に飛んでいる数だけでも20~30匹はいた。どう考えても園芸植物と一緒に沖縄から市場へ運ばれて、市場周辺にある広い緑地帯や公園で繁殖してしまったと思われる。東京湾の海水は黒潮の影響を受けていて、冬の湾岸付近は内陸部よりもずっと暖かいのである。
この2つの話は、カーボンニュートラル運動を喜んで受け入れる人たちの話の格好のネタである。人類の活動によって地球温暖化が進み、温暖化が地球環境を破壊してゆく話にすり替えられたりする。しかしこの程度の動物の生息地移動は、近年になって起こり始めたことではなく、過去、何十年、何百年、何千年、何万年、何十万年と、延々と起こり続けてきたことなのだ。そもそも気候変動で困っているのは人類だけで、地球自体は何にも困らない。1億数千万年後には哺乳類の絶滅を予想している科学者さえ居るのだ。人類の活動で最も大きな問題は、この数百年間の爆発的な人口増加だ。1800年頃の10億人の世界人口が、今や78億人。私が子供の頃に社会科で習った世界人口は50億人だったと思う。2000年前はせいぜい3億人くらいだったと言われている。人類が増えてその活動範囲が広がれば、地球上の他の生物が減るのは当然の結果だ。生物多様性を謳うには矛盾が多い。
100年ほど前までは違っていたが、現代の一般的な先進国の倫理では、すべての人命が尊いものだとされている。学校教育でもそのように刷り込まれるから、反論する人は「非人道的」の烙印を押される。東京2020開催の是非を問うていた段階でも、「人命よりもオリパラ開催の方が大切なのか」っと代々木公園周辺でオリパラ中止を訴えるデモ隊が練り歩いていた。さきほど、厚生労働省がホームページに掲示している全国の死亡者数統計を調べてみたら、2020年の死亡者数は2019年よりも10,000人ほど減っていて、これは11年ぶりの減少なのだそうだ。これは例年の季節性インフルエンザの死亡者数より新型コロナウィルスによる死亡者数が少なかったことが要因かもしれない。感染者数報道を見ても私はしらける。PCR検査の陽性者数を感染者数に言い換えてテロップを書くことや、PCR検査数を言わずして陽性者数ばかりを誇張する風潮、そもそもPCR検査のやり方が国ごとに違っていて、日本が実施する方法は陽性者数が多く出やすく的中率が低いことなどが原因しているかもしれない。マスメディア情報を見るほとんどの人は感染者数の数字に踊らされる。
私はテレビを持っていない。東日本大震災の情報をテレビでありがたく見たのを最後に、デジタル放送に切り替わったタイミングで、アンテナも入れ替えないままに受信機も捨てた。今でも屋上にアナログ用アンテナを立てたままであり、社会情報は紙の新聞とYouTubeから得ている。新聞情報をさえ鵜呑みにしなくなったのは、昨年のアメリカ大統領選挙の報道からだ。自らの信念を頼りにして情報を選ばなければいけない、と強く思った。自分で取材に行けるわけではないので、必ずプロの記者や編集者のフィルーターを通した情報を見ることになるので、どのメディアが自分の信条に最も近いかを見極める必要が出てくる。
2020年1月から、AGRI PICKという農業関係の情報に特化したウェブサイトで、観葉植物の記事を監修させてもらっているため、Web上のコンペティターの記事内容を調べるようになった。誰もがするように、当然私も検索結果の上位から開いていく。園芸植物関連で検索上位に上がるサイトはさほど多くはなく、どんな植物種名で検索しても上位に上がるサイトがいくつかある。調べ始めのころは、掲載情報を読んで愕然とした。えっ、これでいいの?、と思ったのが最初の印象だ。植物のプロではなく編集の人が書いているのだろうか、コピペで切り貼りしたかのような情報構成だ。広告収入で運営されているので、とにかくアクセス数を稼ぐことが最優先課題なのだろう。とにかく有益な情報にたどり着くのが一苦労だし、本当に知りたい情報に辿りつけない時もある。もしかしたら知りたかった的確な情報はないかもしれない。
文明が発達し、物質的に豊かになって、情報量が爆発的に増えたおかげで、5,000年前の人間よりもはるかに利口になったと思っている人が多いはずだ。実は利口になるどころか、5,000年前と全く変わっていない。学業で知識は増えるが、道徳教育が全く機能していない理由から、知恵が開発されないまま大人になる。社会に出ても、個性個性と自分のことばかり考えるから多くの人がいつもトラブルを抱える。特に都市環境に居続けると各人の世界が人間関係だけの小さな世界になってゆくから、本来人間は自然とも繋がっている、もっともっと大きな世界の一部だということも忘れて、自律神経系のバランスがくずれ始めて、最後はうつ病を発症したりする。知恵の開発は道のりが長い、知識と一緒で死ぬまでだ。完成に近づいた人は聖者だともいえる。人生は楽しむものだと思って生きている人には、幸せが訪れない。楽しいことがあると必ず悲しいことがあるからで、躁と鬱はセットになっている。振れ幅がおおきいほど不安が多く訪れるのだ。マインドフルネスが流行中だが、はたして行方はいかに。そんなことを書いている私も、気づいたのはいい年になってからで、研鑽途中である。
2021.8.19 Hitoshi Shirata