エピジェネティクス
「エピジェネティクス」という言葉を知った。全ての生物の遺伝子に起こることであり、DNA配列とは無関係であるのに、世代間継承が可能な遺伝子の変化全般を指す言葉だ。私たちが学校で教わったのは、進化とは突然変異による偶然の産物で、環境でフルイにかけられて、優位に立った変種のみが生き残ってきた結果なのだ、ということだった。薄っすらと、それは単純すぎて変だなと思っていた。体の構造や形状が世代間で継承されるだけでなく、行動までもが継承されているのを皆知っているからだ。うちには猫がいるが、捨て猫で、何も親から教わっていないにもかかわらず、また、家の中では必要のない行動であるにもかかわらず、排便の前には必ず土を掘る動作をするし、排便後も必ず便を土で覆い隠す動作をする。また、食べ残した餌があるときは、必ずそれを隠す動作をする。子供の頃から飼っていたさまざまな動物たちには、皆これに近い、親から継承されたとしか思えない行動や動作があったからだ。
この言葉を植物学者が著した本で知ったのだ。林檎や桜が寒い冬を体験しないと、開花しない習性もこれにあたるらしい。DNAは細胞内で染色体の中に組み込まれているが、ヌクレオチドが鎖状に繋がった単純な構造ではないようだ。DNAの二重らせんがヒストンというタンパク質を包み込んで、クロマチンというものを造っている。このクロマチンがさらにねじれて、DNAとヒストンをきつく縛った構造になっている。このクロマチンは可変で、クロマチンがほどけた部分のDNAは活性化し、きつく縛られた部分のDNAはオフ状態で眠っている。生存に関わるような環境ストレスにより、このDNAのオンオフ(クロマチンのねじれのの強弱)が変化するらしいのだ。しかもこれが親から子へ引き継がれる。DNAの配列が変わって子が変異したとしても、この効果は変わらず引き継がれる。これが行動や習性の記憶に関わっているらしい。親から子に引き継がれる生存に関わるレベルの「記憶」のようなものは、このエピジェネティクスな変化と関係していると思われているが、まだまだ研究途上とのこと。進化の概念がガラリと変わる。学校で教わったメンデルの遺伝学だけでは動いてない。環境がそれに応じた特性を体や習性にもたらし、その特性がのちの世代に引き継がれるのだ。
日々触れている植物を見る目が変わる。コムギの遺伝子数が2万5千個、人間の遺伝子数が2万2千個らしい。植物も人も祖先は一緒である。遠い昔に枝分かれしたにすぎない。私は植物が大好きだ。植物を安易に擬人化して、その変化を表現することは戒めながら仕事をしてきたが、枝を切っても葉をちぎっても、そのストレスを植物たちは確かに認識しているのだと知った。だが痛みはない、苦しまない、脳がないからだ。私たちは脳を発達させることでしか、生き延びてこれなかっただけだ。植物は脳を発達させることなく生き延びることができた。高等とか下等とかで生き物を差別するのはやめよう。「生き物」のイメージを、チンパンジーや犬猫だけでなく、ベゴニアや猫ジャラシまで広げてみよう。お花見で桜を見るときは、遠い昔の共通祖先に思いを馳せてみよう。桜も人も一部に同じ遺伝子を保持し続けている。ビルの壁を這うツタを見たときは、太古の遠い昔の何かの出来事が、ツタと私たち人間の運命を分けたのだと考えてみよう。20億年前に枝分かれした、進化の道筋の違う可能性についても想像してみよう。きっと人生が豊かになるし、人生に寂寞を感じることも無くなるはずだ。
2018.8.06 Hitoshi Shirata