植物のように
先日、店の近くにできたばかりのオシャレな本屋さん、「SHIBUYA BOOKSELLERS」で柳宗民の「雑草ノオト」を購入しました。見慣れた雑草について、興味深いことをいろいろ解説してくれています。さすが柳家です、教養の深さを感じさせてくれるのです。
当たり前の話ですけど、植物には動物のような神経もないし運動能力もないために下等生物として扱われてますよね。とくに雑草は園芸植物や食す野菜と違ってあまりありがたみが感じられません。
でも人が、生きるべき姿勢について考えるとき。人以外の生き物はたいへん参考になります。なぜって「エゴ」がすべてのトラブルの元になっていて、「エゴ」のもっとも強い動物が人間だから。歴史書を見ても数千年このかた、人の欲は何も変わっていません。精神文化は全く進化していないどころか、もしかして現代人よりもギリシャ人やローマ人のほうが上だったかもしれません。もっとも地球上の人間の生息数が違いますから(3000年前は1億人くらい?で今は66億人)、崇高な人間が他の人間に与える影響も大きかったのかもしれませんが.......。
動物でも極限に「エゴ」の少ない動物がいますよね。アリやハチ。やつらは集団のために自分の命も簡単に投げ出します。まるで集団1つで1匹の動物のように振る舞いますから。しかし、植物は動物のような運動もできないのでもっと素直です。
大ヒットした加島祥造さんの「求めない」。こんなくだりがありましたよ。
あらゆる生物は求めている。
命全体で求めている。
一茎の草でもね。でも、
花を咲かせたあとは静かに
次の変化を待つ。
そんな草花を少しは見習いたいと、
そう思うのです。
植物はいろいろ教えてくれます。こちらがその気にさえなれば。
2008.2.09 Hitoshi Shirata